土用の丑の日

鰻食べました。

一人で公園で笑。

安い方(これでも1000円)買ったら、ちょっとさみしかった。


ちなみに、土用の丑の日、豆知識。


土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間で日の十二支が丑である日のこと。

夏の土用の丑の日は、暑い時期を乗り切る栄養をつける為に、鰻を食べる習慣がある。 土用の間に丑の日が2回ある場合があり、2回目を二の丑という。 一般には土用の丑の日といえば夏を指すが、土用は春、夏、秋、冬の年4回あり、土用の丑の日は年に数回ある事になる。 近年、鰻の人口当たり消費量上位に位置する長野県岡谷市を中心として寒の土用の丑の日にも鰻を食べようというキャンペーンが展開されている。


「鰻を食べる由来」

鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。

商売がうまく行かない鰻屋が源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。

同じ文政年間(1818 - 1829)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説もある。

やや時代が下がった天保10年(1839年)の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。

また、平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。

土用の丑の日に食べるものは鰻でなく「う」の付くものでいいのだから、うどんでもうどでもいいのである。主に鰻を食べるのが主流なのは確固とした由緒由来が有るわけではなく、バレンタインデーのチョコレートや節分の恵方巻きなどと同様、多分にコマーシャリズムの産物といえよう。

鰻以外には、梅干や瓜などを食する習慣もあったようだが、今では殆ど見られない。また実際に丑=牛を食べなかったのは、当時の日本が肉食を憚る時代であったこと、特に当時は肉や乳を供するものではなく、主として労働力としての担い手であったことを考慮する必要がある。但し、牛肉を食することが当たり前になった現代日本でも、丑の日に牛肉を食べようと言うキャンペーンはほとんど普及していない。

鰻屋が源内に相談を持ちかけたのは夏に売れない鰻を何とか売るためであったとも言われている。鰻にはビタミンB類が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止には効果的であり、そういった面から鑑みると、当時夏の時期に鰻を食べたのは実に理に適った習慣であるともいえる。

(wikipediaより)

私の友達、wikipedia笑。